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2012年9月15日 (土)

【「粘る稀なガン患者」より無断転載】ホスピスと緩和医療についてのメモランダム

 これは,記事の参考にするためではなく,数十年後にやってくるだろう自らの緩和医療期に備えてとりこんでいたものである。
 しかし,よくよく考えてみれば,数十年後では,事情が変わっている。

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2010年8月 2日 (月)
ホスピスと緩和医療についてのメモランダム

昨年、妻を亡くし、子供もいない。また、近くの親戚は、いい人ではあるものの、お年を召していて「実力・実行力」に難があるし、なによりも最後に迷惑をかけるのは気が進まない。

子供もいないこともあり、ある程度のお金はあるのだから、ホスピスの活用が第一候補だろうとこの一年程度、少しずつ(積極的に調べる気にはならないが)勉強してきた。

体調の急変化に勉強してきたことは、ほとんど活用できそうもないが、せっかくなのでメモを残しておこうかと考える。

<1>ホスピスの諸タイプ

そもそもホスピスとは、がんが死の影を宿す病であり、そして痛み(疼痛)とも結びついていると(疼痛緩和医療が進んでいなかった十数年前の状況を背景に)、「白い病院・医学的医療看護体制」ではなく、より緑の中で家族やボランティアに見守られて、少しでも精神的には安らかな死を求めるというキリスト教的背景により出てきたものである。
そして、これは現在の問題点につながってくることにもなるのだから、保険料算定も特殊な形になっている。
つまり、保険料は「出来高払い(行った治療行為の積み上げ)」が原則なのに、ホスピスでは積極的治療はさける(治療漬け・検査漬けはマイナス)のため、原則をそのまま適用すれば経営はなりたたない。
このため、病室面積や看護スタッフの基準を厳しくするかわりに、そのたのものは、治療内容を問わない一律としているのである。
もちろん、高めの算定はされているが、まじめに疼痛緩和医療を行おうとすると、使われる薬剤が高価なため、保険料だけでは経営的に困難なことが多いそうである。

ところで、この安らかな死というキリスト教理念を背景にしたホスピスは現在でも多数であるが、従来タイプのホスピスといえよう。

これに対して、緩和医療技術の進歩と、やはり人は家族なり社会の中で過ごすのがよりよい道との考えから、新しいタイプのホスピスが出つつある。

この背景としては、中心静脈ポートを通しての在宅栄養管理や、各種モルヒネ系鎮痛剤の開発により在宅での鎮痛管理が以前より容易になったことから在宅の壁が低くなったということがある。
もちろん、退院前には、在宅栄養点滴の技術を家族に習得していただいたり、個々人により異なるのであるからその患者さんに応じた鎮痛薬の基本ベースをホスピスで調整してからになるし、病状の進展により、入院・再調整・退院、そして、やはり在宅では困難となっていくが従前の籠の中のスズメならぬホスピスの中のスズメよりも人間らしいように私には思える。
この方法ならば、おおっぴらには言いにくいが、退院中に、積極的治療に極めて熱心(逆にみればリスキー)な医師による積極的治療を受けることもむりではないだろう。

この新しいタイプのホスピスは多くはないが、増えつつあるのがトンデモホスピスである。

最初に書いたようにホスピスは出来高払いではない。したがって、(緩和医療すら含めて)なにもしなければ、しないほど利益になる。
しかも、ホスピスでは、いったん入院させれば、退院するのは困難である。
この結果、名前だけ(名前以下)のホスピスが繁殖しつつあるから注意が必要である。大病院からかわるのであれば相談センターや、そのようなつてがなくとも看護師さんからの非公式情報を集める努力を早めからすべきである。

特に、きちんとした評判のよいホスピスの人気は高く、待ち時間も長い。
まだまだ積極的医療と思っていられるうちからホスピス探しは始める方がよいのかもしれない。

<2>ホスピス料金考

ホスピス自体は健康保険対象であるが、実際には、差額ベットというかなりの本人負担が求められる。
その金額はピンからキリまで様々であるが、ピンについてきいたところでは(きちんと調べていないので不正確)、K立がんセンター中央はホスピスは有さないが、個室料金は3~4万円が中心。聖路加は5万円/日(ただし、最近のタイプのホスピスなので、できるだけ入院ではなく在宅を多くする努力が強い)、そして、有明の癌研は300万円/月。
逆に、その他はいろいろであるし、都立の病院には施設と比すると割安と思えるところもある。

キリについては別として、ピンの価格に不当に高いなどという投稿を目にすることがある。
高い・安いというのは主観の問題である。
しかし、健康保険からはそれなりの、しかし、十二分なことをするには困難な金額しか支給されない。

もしも、人の最後を安らかに送るためには、健康保険基準の人員では不足と思い、また、部屋面積も狭すぎて不十分とするならば、高賃金であり不動産の価格も高い日本では、「そのような人にとって」、これが「必要実費」なのではないのか。

その病院が適当と判断する質のホスビスを、その価値ありとして受け入れる人が「自分の負担」において選択することを、他人が不当に高いとか金儲けなどというのはどうだろうか。
(もちろん、差額個室料金の高いところへの保険給付を減らし、個室料金の低いところへの配分をあつくするというのはよいかもしれないが)

例えば、才能(タレント)もないタレントが、どんなに豪華な結婚パーティをあげようと、ホテルに儲けすぎというのと変わりなく思える。
言葉汚く言えば、単なるひがみにすぎないのではないか。

それよりも問題にすべきは、キリに近いホスピスである。

宗教的バックグラウンドを持つホスピスには経済性を度外視して運営されているところもある。このようなキリの施設には幸せあれ。であるが、このような施設は極めて少ないところであろう。(さらにいえば、安らかな死の追求という従来タイプであろう)

しかし、それよりも多いのが、基準面積を満たしたと言うだけの、古くてきれいとはいいがたい病室、安価な看護スタッフを最低基準数、集めたのか、患者よりも病人くさい看護師、さらには、患者さんをみていると当然可能な緩和治療すらなされているのか・・・という(健康保険給付はなにもしなくてももらえるのだから)、キリの個室料金のホスピスのほうが本題できないか。

これこそ(内容に比して)高い値段をふきかける、金儲け主義ではなかろうか。

これらについては、最後に別の見方から考えてみたい。

<3>ホスピスはがんにだけ?

まったく別の話なのかもしれない。
私も、これがホスピスに結びつくものか不明である。
しかしひょっとすると、ホスピスを別の見方でみるきっかけとなるかもしれない。

ということで、答えのない書き出しだけを・・・

「不治の病。それはがんだけではないはずである。もちろん、急性型の病はホスピスとは関係しないだろうが、慢性型の徐々に進行していくものはまだまだあるはずである。
そして、その中には、病気の進展に伴い疼痛緩和が重要になるものもあるはずである。
しかし、ホスピスというとがんに独占されているのが現実ではないか。

がんの中にこれらの病以上にホスピスと結びつく要素があるのか、それともがんがホスピス全体を僭称してしまっているのか。

ひょっとすると「がん」「ホスピス」についての異なる見方に気がつくかもしれない・・・」

<4>緩和医療の基礎知識から

ホスピスにしろ在宅にしろ、疼痛緩和医療の最低限の知識は必要だろう。
不要な心配や、間違った知識による患者本人のマイナスを少しでも小さくするために。

疼痛緩和のために使っている限りモルヒネ中毒の心配はない。

がんの手術に限らず、普通の手術(処置によっては手術でなくとも)において、モルヒネは鎮痛剤として広く用いられており、その意味では、特殊な薬ではない。
ただし、中毒性を有しているので、「不必要な大量」を使用すれば、中毒になるおそれはあり、したがって、厳重な管理がなされている。
したがって、患者側からすれば、どれだけの量が中毒のおそれのある「不必要な大量」かということである。
そして、その答えはいたって簡単である。「鎮痛のために使っている限りは、どのようにグラム数が大きくても中毒にはならない」ということだからである。
脳の中で、体に疼痛を感じさせるもととなる物質とモルヒネが反応して鎮痛効果を出すこととなる。
つまり、鎮痛のために使っている=モルヒネが反応する疼痛を感じさせるもととなる物質がある=中毒のもととなるモルヒネはないということである。
なお、モルヒネの量については、薬代が高額なためか健康保険の審査算定が厳しく、疼痛緩和に足らない量しか認められてこなかったということのほうが問題である。

モルヒネ漬けとは限らない

がんという病気は、通常進行していく。これにあわせて、疼痛のほうは増してくるので、前の説明を考えれば、それに応じてモルヒネの量も増やしていくことが一般となってしまう。
しかし、これは病状の進行にあわせて量の調整であり、「モルヒネ漬け」などにはあたらない。
さらに言えば、がんによる疼痛にも波がある。波に応じた減量もありえれば、あるいは、別に受けた積極的治療の効果が出るかもしれない。そうなれば、減量ではなくゼロの可能性もある。

おおまかにいって2種類の分業である。

鎮痛剤にはおおまかにいって2種類の分業といえる。

ひとつは、投与して効果が十分に出るのに1時間とか数時間かかり、そして効果が数時間から半日以上、その後徐々に効果がなくなっていくという、「じわじわ長期間」タイプのものである。
このタイプのものを投与するタイミング・量を調整し、疼痛側の「基礎」というべき痛みを抑えるわけである。
これについては、投与する時刻・量を守るともに、疼痛とのバランスがとれなくったら、すぐに受診し、量などの再調整を受けるのが大事ということになる。

もう一つのものは「レスキュー」とも呼ばれるものである。基礎というべき疼痛の他の、一時的・突発的な痛みに対応するものである。
効果が出てくるまで半時間程度、効果継続時間1~2時間というようなものである。
当然ながら、自己判断での服用となるが、効果が出るまでの時間はゼロではないので、いかにうまく疼痛を認識するかがポイントとなるだろう。

WHOラダー

がんの疼痛緩和のための薬は多くのものが開発・実用化されている。
そのおかげで疼痛から解放される方は極めて多い。
ここまでは、その中心となるモルヒネ系を主に念頭に置いてきたが、それ以外にも、いろいろな薬剤がある。
それらを網羅的に整理し、使用すべき標準的順番をWHOがまとめたのがWHOラダーである。ラダーとは梯子である。弱いもの(主として初期に使用)から強いものまで、強さにほぼ応じていると思ってもらえればよい。
具体的な内容は「WHOラダー」で検索してもらえば適切な解説はいくつも出てくる。
ある程度のラダーがわかれば、主治医に尋ねる時に、WHOラダーではどの付近かなどと使うと、主治医も回答をしやすいし、また、患者側に一定の知識があるということを前提にしてくれるので、より深い答えがわかるかもしれない。

 疼痛緩和医療の効果

疼痛緩和医療は進んでいる。
いろいろな鎮痛剤や機器の開発・実用化により、きちんとした緩和医療により、7~8割の患者さんがつらい疼痛から解放されるところまで来ているそうである。(患者全員でないのは残念ではあるが)
ほかに手段がなくなり「最後の方法」として、大量のモルヒネを使用した「昔」の知識・経験で判断するのは時代錯誤といわざるおえない(ただし、緩和医療を尽くしてもつらい疼痛が続く時、患者または家族の同意のもと、鎮痛剤の量を増やして、意識を最低にまでもっいくセディテーションといわれる医療は残っているが)

そして、疼痛とがん本体に立ち向かうのに対し、疼痛は緩和医療に委ねて、がん本体に立ち向かう方がブラスであることは、とても理解しやすいことである。
私自身は直接確認はしていないものの、事実、余命が長くなるというはっきりとしたデーターも出ているのである。

まだ、疼痛緩和医療が発達していないころ(「最期のモルヒネ」)のことだけを知識に、モルヒネ・麻薬から目を背けるのは患者のためにならないと考える。

<5>「安らかな死」

ホスピスについては、「安らかな死」というひとの最も根本的な、ある意味、各個人の宗教観とも結びつく微妙かつあいまいな、しかし、根源的なものかもしれない。
しかも、「(安らかな)死」というもっとも、個人に属する(国と独立であるべき)ことが、(ホスピス固有の)健康保険給付という形で「社会」「国」とつながってしまっている。

他方、現在の日本は「お金」を中心とする浅薄な「生」が精神の中心で正面から「死」についてとりあげられることは少ない。逆に「死」に対して向かい合いたくないためか、実際の「死」に対して、マスコミをみても、家族のみならずマスコミ自身が感情的な反応しか示さなくなりつつある。

私とても、このような深い問題をどこまで理解しているかといえば疑問である。
しかし、浅い部分といえど無益でもなかろう。

個室差額自体については、「ねたみ」を別にすれば、とどのところ、お互いに気に入った高額サービスの購入である。どんなに高額な結婚式あるいは葬式を行おうと、それ自体には本質的な問題はなかろう。(金持ちへの保険給付を減少して、他に回すべきということは一つの理屈ではあるが、保険給付自体は、それまでの健康保険料の反対給付であるので差をつけるのは法的に困難だろう。)
それよりは、現在のホスピスの看護スタッフや設備の基準が(安らかな死には)低すぎないのかのほうがより本質のはずである。しかし、これをあげるとすれば、そのための保険財政負担をどうするのか。そもそも「治療」=「生きる」ための健康保険で「安らかな死」のための費用をどこまでまかなうのか。日本人として「他人」の「安らかな死」のために、どこまで自分のお金(健康保険料)を出すのをよしとするのか。

次に、緩和医療の進歩と「安らかな死」についても考えないといけないだろう。

広い意味の医療の視点から、「安らかな死」を整理すると、
・ 適切な人(看護)や環境(施設)の中での死などという「精神的な安らかな死」
・ 疼痛緩和医療など「肉体的な安らかな死」
(このほか、精神腫瘍医のような中間的な存在もあるが、少数なのでここではとりあげない)
に大別してよいのではないか。これを前提として考える。

ホスピスがとりあげられた数十年前には、疼痛緩和医療は進んでいず「最後のモルヒネ」でしかなかった。
それどころか、出来高制のため、無意味な投薬や検査のための検査の横行など「精神的な安らかな死」を妨げることすら見られていた。
これに対して、看護・設備基準を高めることを義務づけ、他方、不要な投薬・検査をおさえるために出来高払いとする。
ある意味、合理的な選択である。

しかし、疼痛緩和医療の発達により十分とは言えないが「肉体的には安らかな死」が見込めつつあり、また、社会・経済の発達に伴う「人(看護)や環境(施設)」の高価格化にもなっている。
ところが、健康保険制度は従前から変化していないため、「人(看護)や環境(施設)」は基準ギリギリであり社会経済の発展を考えれば実質低下、他方、投薬などをしないほど儲かるため、きちんとした疼痛緩和医療がなされないということになりつつある。
私としては、(多少の上乗せは必要かもしれないが)「人(看護)や環境(施設)」については差額個室のような個人の契約ベースによる。(少なくとも、適用範囲の少ない高額医療に保険特約をつけるならば、末期差額病室特約のほうがよさそうである)。
逆に、疼痛緩和医療については、必要な使用に必要な費用が払われる出来高制にし、国(健康保険制度)は「肉体的には安らかな死」を担保する。
なお、不必要な投薬・検査をなくすのは、他の医療と同様に保険給付での審査の問題にすぎないはずである。

といろいろと書いてきたが、掲示板などから見る実態は、「安らかな死」などとは無関係である。
いわゆる入院の3ヶ月制限を背景に病院を出なければならない患者を、経済的に迎え入れることができない家族。
そこには、「生」「死」について、きちんと考えてこなかった日本が背景にあるのかもしれない。
とにかく患者を「ひきとってくれる」ところが欲しい。安かろう・悪かろうのほうが負担が軽くてよい。

ここまで書いてきて、日本の精神貧困さにたどりついてしまった。

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もう5年前になるが 1人暮らしの親戚が癌になったので 金曜日~二泊三日を
毎週 横浜に通っていた時期があった。 瀬谷の めぐみ在宅クリニックに通院し 
 その後 最後の一ヶ月を 仙台のホスピスで看取った。
横浜の この医師に出会えた事じたい 私はとても恵まれていると思う

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